こんにちは 伊藤倫邦です!不動明王を彫る 牧野利作さん 称名寺 鎌倉 


不動明王を彫る 牧野利作 称名寺 今泉不動 鎌倉 今泉
除幕式の映像 玉手宏治(撮影・編集10:25分)
こんにちは、伊藤倫邦です!                                     平成25年10月12日(File No.3)
不動明王を彫る 牧野利作さん 「今泉不動」 称名寺 鎌倉 今泉
こんにちは伊藤倫邦です。
 牧野利作(まきのりさく)さん(今泉台一丁目在住87歳)が今泉不動(称名寺)にて数年かけて制作していました不動明王の
石仏が完成し、平成25年10月6日に住職さん供養の下、除幕式が盛大に執り行われました。

 除幕式には牧野さんの親しい方たちが参列し石仏の前で手を合わせお一人お一人の気持ちが石仏に乗り移り完成までの
長きに渡りお一人で魂を入れながら彫られ完成された事は、この何百年先まで参拝される人々を末永く見守り衆生を救って
くれることでしょう。

 ボランティアにて数年掛け不動明王の石仏を完成されました事は素晴らしいことで頭が下がります。
牧野利作さん、大変お疲れ様でした、お目出とう御座います。
除幕式の時の写真です。
除幕式/住職の供養
 
お仲間と 会食風景

こんにちは、伊藤倫邦です!                                    平成25年9月4日(File No.2)
不動明王を彫る 牧野利作さん 「今泉不動」 称名寺 鎌倉 今泉
 今日は、今泉にある称名寺(今泉不動)境内にて、数年かけて自然石に一人で仏像をコツコツ「ノミ」一本で彫られて
いる今泉台一丁目在住の牧野利作さん(87才)が居られますのでご紹介いたします。

 お話をお伺いしますと、趣味で制作されているとのこと。作業されている現場にお邪魔するとハンマーで、「一振り一振り」
魂を込めながらノミにて石(小松石、産地真鶴)に刻んでおられます。現場にて、作業の様子を拝見していると、彫られて
います牧野さんと同じ気持ちになり、自分が魂をいれているかのような錯覚になりました。

 後世に残るすばらしい仏像の完成を心より楽しみにしております。完成は、9月半ば頃との事でした。また、除幕式は10月
6日(日)11時より行い、奉納するそうです。

 是非、皆様も一度足を運ばれてはいかがですか。
制作中
完成間近
牧野利作さん                    小松石
石材提供:株式会社石森

*今泉山称名寺(こんせんざんしょうみょうじ)は「今泉不動」の名で知られています。

   ★ 月影のいたらぬ里は
          なけれども
             ながむる人のこころにぞすむ
                 浄土宗宗祖 法然上人御作

 今泉不動の草創は弘仁九年(西暦818年)頃で、弘法大師が金剛峰寺を開いてから二年後と伝えられています。
弘法大師が諸国巡礼のおり鎌倉に至った際、紫雲に包まれ光明のさす山に出会い、人伝えに神仙の棲む金仙山と
伝うことを知った。「此の山は二つとない霊地である。速やかに不動明王の尊像を刻み、蜜教道場の壇を築き末世の
衆生を救いなさい」と告げられました。
 
 この地は峰口がいくつも重なる谷戸ということで、九十九谷(つくもだに)と呼ばれています。また、かつては、
八宗兼学の寺で名も「円宗寺」といった。鎌倉時代には将軍も参詣に来たといわれています。
 
浄土宗 稱名寺 <今泉不動> 住職 成實 皎人
*不動明王 (ふどうみょうおう) 像容 ~Wikipedia より一部抜粋掲載~
 密教の明王像は多面多臂の怪異な姿のものが多いが、不動明王は一面二臂で剣と羂索(けんじゃく、縄)を持つの
を基本としている。 剣は竜(倶利伽羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれている。

 また、その身体は基本的に醜い青黒い色で表現される像容が多い。これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥
の中において衆生を済度せんことを表しているといわれる。しかし底哩経などには、身体の色は青黒か赤黄とあり、
頂は七髷か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的とされる。

 人間界と仏界を隔てる天界の火生三昧(かしょうざんまい。人間界の煩悩や欲望が天界に波及しないよう烈火で
焼き尽くす世界)と呼ばれる炎の世界に住している。不動明王は多くの明王の中でも中心的な存在であり(五大明王
の中でもリーダー格である)、像容は肥満した童子形に作ることが多く、怒りによって逆巻く髪は活動に支障のない
よう弁髪でまとめ上げ、法具は極力付けず軽装で、法衣は片袖を破って結んでいる。

 その装束は古代インドの奴隷ないし従者の姿を基にしたものとされ、修行者に付き従いこれを守る存在であることを
表している。右手に降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)、左手に羂索(けんじゃく。
悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)を握りしめ、
背に迦楼羅焔(かるらえん。迦楼羅の形をした炎)を背負い、憤怒の相で岩を組み合わせた瑟瑟座(しつしつざ)か、
粗岩(岩座ともいい、仏典では「磐石」[ばんじゃく]という。「金剛石」とあるのでダイヤモンドの原石である)の上に座し
て「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的である。